給付金不正受給と囚人のジレンマ プーケットのタクシー屋のオヤジの戯言
“囚人のジレンマ”っちゅう言葉、聞いたことあります?
実はワシもつい最近知った言葉ですわ。
簡単に言うと
“自己の利益だけを考えて選択した合理的戦略が、全体にとっては最良の選択とはいえない結果をもたらす。”
という事のようですな。
(詳しくはGoogleで検索して調べてくらはい。)
まあ、そこまでドンピシャのケースではないけど、
ロックダウンによる経済停滞下のタイで、“善意の棚”にまつわる話題があるんよ。
“善意の棚”
簡単に言うと、
街角に設置された棚に余裕のある人が飲食物を寄付し、
困窮している人はそこから自由に飲食物を取って利用してください。
そこからもらった人も、今後もし余裕が出来たら他の人の為に飲食物を入れてくださいね。
というタイ人の社会性を反映したような素晴らしい善意に満ちた運動ですわ。
そこまでは良かったんやけど、
これを、夜中にピックアップトラックで乗り付けて、
ぜ~んぶ盗んでいくケシカラン輩がおり、ニュースになったんよ。(怒!)
「こんなもん、誰か悪いヤツに持って行かれたらどうするんや?」
これ、実はワシも含めて、世間ではけっこう予想する人がおったようですわ。
この善意の棚の運動が始まるもっと前、
やはり、心優しい人たちが困った人達のために“炊き出し”とかやってたんよ。
その時も見るからに、
「ぜ~んぜん困ってないけど、たまたま近くにおるし、
腹減ってるから、タダやったら貰うとこか。」
という人が沢山列に並んでたんよね。
(これって、政府の給付金の不正受給にも似てる。)
それでも“炊き出し”で弁当箱配ってる人たちは嫌な顔もせんと、
一生懸命他人のために自分のお金や時間を差し出してる。
こんなん、どうなんかなぁ?
と、ワシは始めのうちは納得出来んかったんやけど、
最近はちょっと考えが変わったんよ。
不正受給とか、善意を踏みにじる輩も確かにある程度はおるやろう。
善意の心で人の役に立とうとする人達は、
そんなことは分かった上で、それでもやってるんやな、と。
たとえ、善意の半分が心無い輩に浪費されたとしても、
残りの半分はホンマに困った人を救うかもしれん。
ここでは効率論を振りかざして何もせんより、
たとえ効率悪うでも、何かをやることで少しでも困ってる人を助けることが大事なんやと。
もちろん、プーケットでもロックダウン後、
観光業がストップして、レストランが自分の商売もなくなってるのに、
困った人(自国に帰りそこなった外国人を含む)のために食事を提供したり、
といった話はよう聞く。
こういう善意を皆が尊重することで社会が上手く回るのが理想やろうが、
実際はなかなかそうもいかんわな。
社会全体の利益を考えん輩が、
観光客からボッタクリしたりするわけよ。
最後は自分にツケが回ってくるのが分からんのやろうね。
(ここでやっと囚人のジレンマにちょっと近づいたか。。。)
いろいろ書きましたけど、
“タイはほんまにエエところですよ。
人の心が綺麗ですわ。(全員ちゃうけど)
コロナが治まったら、またプーケット来てくださいね。
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